これから一人暮らしをしたいと考えている学生さんにとって、毎日のイメージがわくことは憧れの一人暮らしをぐっと近づけますよね。
そこで今回は、大学生活を送る現役の学生さんにインタビュー!入学当初から現在まで、リアルな学生生活について聞いていきます。
今日お話を聞くのは、青山学院大学 経済学部4年生のジャスミンさん!これから大学入学を迎える読者の皆さんのために、入学当初から現在までを語ってくれました。
目次
-自己紹介をお願いします
青山学院大学4年経済学部、現代経済デザイン学科に通っているジャスミンこと、岡村万由子です。出身は奄美大島で、18歳までずっと奄美に住んでいて、大学入学から上京してきました。
オープンキャンパスで青学に一目惚れ!?

-なぜ、青山学院大学に入学を決めたんですか??
最初は国立がいいなあと、別の国立大学を目指していました。でも高校3年の夏にオープンキャンパスで関東に来て、いくつか大学をまわって、青山学院大学を見に行ったら、「私、ここに通いたい!」と心が引き込まれました。
当初のイメージでは、私立だし、キラキラしすぎてると思っていました。でも、大学を見に行ったとき、まだ新しいキャンパスではなく古い雰囲気で歴史を感じるキャンパスだったんです。母に相談したら賛成してくれて、そこから志望先を変えて青山学院大学を目指すようになりました。
憧れの青学に入学したけれど・・・
-憧れの青学に入って、最初はどうだった?

入学式。まだ垢抜けない頃。
地元の奄美には電車がなかったから、電車にも人混みにも慣れてなく、電車に乗って学校で1日過ごすだけでへとへとでした。学校が終わったら一人暮らしの家に直帰。友達も学校にいる間だけ。
-住むところはアパート?学生寮?
溝の口駅にある学生会館に住んでました。
母が探してくれたところで、学生会館は管理もしっかりしているので、最初の1年は寮と決められていました。
広さは6畳で、最低限の家具は備え付け。入寮した週に歓迎会があって、元々入ってる寮生と新しく入ってきた寮生で歓迎会がありました。そこで同じタイミングで入ってきた子たちと友達になって、その子たちと寮の中で互いの部屋に行き来したり、一緒に食事に行ったりしました。
夏休み入る前くらいから、ずっと一緒にいるような友達もできてきました。
一人暮らしだったけど、周りにはいつも友だちがいたので、一人暮らし感のない生活を送ってました。
そのせいか、ホームシックは一度もなったことがないですね。私は学校には行きたくなかったけど、奄美に帰りたいとは思わなかったんですね。きっとそれは、周りの子たちがいたからかなと思います。
2年生で引っ越し、マンションで一人暮らしスタート!
-いつ頃、寮からマンションに引っ越しましたか??
2年になったとき、溝の口駅にあるマンションに引っ越しました。
溝の口にしたのは、寮と路線を変えずに済むのと、学校まで電車が直通なので住みやすく、家賃のことも考えると神奈川県内の溝の口のほうが安かったからです。家を決める時も直感で決めました。
物件はマンションで、1Rの10畳。駅から4分、築19年くらい。家の中は綺麗だし、大家さんがおじいちゃんとおばあちゃんで私が一人暮らしなのを知ってるから、いろいろ助けてくれました。
一度、電球が切れたとき替え方がわからなく、わざわざ来てくれて電球を替えてくれました。他にも1階が定食屋さんでそこのおばちゃんも良くしてくれたりで好きでした。
-その頃になると、もう学校には慣れた?
そうですね。だいぶ慣れてきました。
2年の夏に、オーストラリアに留学に行きました。大学の語学研修ですね。
2年の間は1年間学生団体にいたんですけど辞めて、3年次は夏休みにベンチャー企業でインターンをして、ライターのアシスタントをやりました。サバイバルなインターンに行って2泊3日山にこもって精神も肉体も追い込まれたりもしましたね。

留学先のオーストラリアにて。
3年はインターンとアルバイトが中心で、奄美大島関係のイベントで司会をさせてもらったりとかもありました。
3年の後半から就職活動を始めて、4年生の4月には決まりました。
その後は旅行に行くために旅費を貯めるアルバイトをして、内定先でインターンもやってます。

奄美大島の観光イベントにて。
-アルバイトは??
ビアガーデンと渋谷のチャイニーズレストランで働いてました。この頃から渋谷の人混みにもようやく慣れるようになりましたね。
チャイニーズレストランの方は大学2年生からやってて、私がちょうどバイトを探してる時にオープンでオープニングスタッフで入れてもらいずっと続けました。
飲食をやろうと思ったのは、単純に人と話すのが好きだから。あと、時給も高いからです。
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